重要文化財
大師堂
桃山時代
桁行左側面四間
右側面五間
梁間三間
一重
入母屋造
こけら葺
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空海の気配を宿す、
瀟洒なる一宇
大師堂は、平安時代・仁安3年に弘法大師・空海がかつて過ごした「納涼房」を起源とし、桃山時代に戦国武将・細川忠興の寄進により再建されました。
建物は杮葺の屋根を備えた入母屋造で、低い縁をめぐらせています。


舟肘木で軒を支える構造や、懸魚・木連格子などの妻飾により、簡素ながら瀟洒な桃山建築の美を伝えています。
堂内には四本柱で内陣を構成し、奥には小さな空間が設けられています。






内部には鎌倉時代の仏師・定喜の作と伝わる「板彫弘法大師像」が安置されています。
像を収める厨子は二重になっており、内側の厨子は同時代の作と考えられています。
弘法大師霊場の遺迹本山としての由緒を今に伝える貴重なお堂です。






柿葺
屋根葺の一種。杮板を竹釘で打ち付け、軒付の部分は厚めの板を用いる。材は、杉・檜・椹(さわら)などの薄板を使用。

厨子
仏像や舎利,経巻などを納める仏具。

板彫弘法大師像
内陣
寺社の内部で、神体または本尊を安置してある奥の間。
妻飾

木連格子

懸魚

舟肘木

入母屋造
母屋を切妻造とし、その四方に廂を葺き下ろして一つの屋根としたもの。

細川忠興
戦国・江戸初期の大名。明智光秀の娘・ガラシャを妻とし、豊臣・徳川両政権下で活躍。茶道に精通し、利休七哲の一人として文化人としても著名。1563–1646。
戦国武将
15世紀後半から17世紀初頭の戦国時代に、各地で自立して領国を支配した大名や武士のこと。
桃山時代
室町から江戸に移る安土桃山時代(1573~1603)。日本史において織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代。2人の名前をとって織豊時代ともいう。豊臣秀吉の居城伏見城が桃山丘陵にあったことから名づけられた。
鎌倉時代
源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから1333年(元弘3)北条高時の滅亡に至るまで約150年間の称。
納涼房
弘法大師の住居として自ら命名され、ここに14年以上住まわれた。
定喜
鎌倉時代初期の仏師。
遺迹本山
特定の寺院が宗派の本山としての地位を持つ根拠のひとつ。その寺院が宗祖や高僧のゆかりの地(遺跡)であることを指す呼び方。
弘法大師 空海
平安時代の僧。弘法大師。真言宗の開祖。当時の三筆の一人。(774〜835)

平安時代
桓武天皇の平安遷都(794)から鎌倉幕府の成立(1185)まで約400年の間、政権の中心が平安京(京都)にあった時代。ふつう初・中・後の3期、すなわち律令制再興期・摂関期・院政期(末期は平氏政権期)に分ける。平安朝時代。
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